2014年1月12日日曜日

映画『永遠の0(ゼロ)』を観て思うこと

昨日、妻と一緒に公開中の映画、
『永遠の0(ゼロ)』を観ました。
http://www.eienno-zero.jp/index.html

この映画の監督である山崎貴氏は、
「主題は戦争ではなく、人間」「生きた人間の心情を扱う作品にしたかった」と語っています。
http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/cinema/cnews/20131227-OYT8T00588.htm
確かに、144分という長編ではありますが、
決して飽きのこない構成となっており、
登場人物の心の動きがよく表現されていると感じました。
話題となっているVFX(視覚効果)を見てみたい、という方は、
映画館での鑑賞をお勧めします。

さて、この映画を観て、
私が感じたことを少し書きたいと思います。

作品中で、「特攻隊」と「自爆テロリスト」は同じだ、
という発言が出てきます。
その理由として、
爆弾を抱えて飛び込んでいくこと、
そして、その飛び込んでいく者たちが洗脳されていることを挙げていました。
これに対し主人公は、
「自爆テロリストは、無実の民間人を巻き込むが、
特攻隊は、戦闘艦に体当たりをするので根本的に違う」
というような趣旨の発言をして反論をしていました。

私が海外にいたとき、
よく「特攻隊」と「自爆テロリスト」を同じものとして扱う外国の方に出会いました(特に、9・11以降)。
その都度、私は「それは違う!」と言って、
以下のように説明をしていました。


「自爆テロリストは、ある狂信的なグループが行う無差別殺戮である。
一方で、特攻隊は、一国家が組織的に行った軍事作戦である。
まずこの点が異なる。
そして、特攻隊員の中には多くの学徒が含まれており、
戦争の勝敗はどうであれ、将来の日本を背負っていくはずの者たちであった。
特攻隊という存在は、
この国家的な人的損失を、過小に評価し、
いとも容易く「作戦」として決定した為政者がかつていた、
ということを決して忘れてはならない、という全人類に対する教訓なのだ」


私は学生時代、
九州を旅行した時に、鹿児島の「知覧」という場所を訪れたことがあります。
ご存知の方も多いと思いますが、
ここにはかつて特攻隊の基地がありました。
現在は、その記憶を忘れてはならないと、
記録や遺品が展示されている資料館があります。
http://www.chiran-tokkou.jp/index.html
私と同じ歳の学生たちが、
無念の思いを胸に海の藻くずとして消えていったことを思い、
彼らの分もしっかり勉強しようと決意したことを思い出します。

人間の記憶は日が経つにつれて、
だんだんと薄れ消えていくものです。
これは良いことでもあります。
なぜなら、誰だって辛いことや嫌なことは、
早く忘れてしまいたいですから・・・。
しかし、決して風化させたり、
忘れ去ってはいけない記憶もあるのです。

私は自身の政策の中で、
「日本の近現代史」を学ぶ機会を増やしていくべき、
と主張しています。
http://nakajimahiroki.com/policy.html
かつて日本がアメリカと戦争をしたことを知らない大学生がいます。
これは極端な例かもしれませんが、
自分の祖父母や両親と直接関わりのある近現代史について、
十分に学ぶ時間が確保されていない結果であると思うのです。

町田に住む子どもたちが海外に出かけ、
私が遭遇したのと同じ場面に直面した時、
「それは違う!」と言えるかどうか。
そして、自分の言葉でしっかり説明できるかどうか。

私、中島ひろきが、取り組むべき教育の課題はたくさんありそうです。